昭和44年04月27日 朝の御理解



 信心の心得、「縁談に相性を改め見合すより、真の心を見合わせよ。」

  と有りますね是はあの結婚の事に付いての心得というかね。御教えだと思う思いますのに是は、是は非常に難しい御教えだと思うね。真の心を見合わせよと言う所にこの信心の信の字一字書いて有りますね。是は普通まことと読まないでしょうけれども、そういう風に読ませてある。信という字をまことと仮名をうって有りますですから信の心を見合わせよ、とこうですから是はどこまでも信心のあるものに対する御教えですね。
 信心のない者が聞いても、とてもこの御神意は解らない、そこで例えばその縁談の話しが持ち上がると御神意を頂く。お取り次ぎを頂く事になりますわね。ですから例えば普通で言う相性といったような、低俗な迷信ですね。あの人は何の性、まぁっ火の性ぞと水の性はいけないという分けなんだね。いかに燃え上がっても水が消してしまうからいけないと言った様なその、まぁっ相性とそう言う事を言うんでしょうきっと、まず第一相性は、どげな風じゃろかとこの辺では申します。
 だからそう言う事は問題じゃないのだと、問題はお取り次ぎを願う者の心ですね。願いをする者の心と、いわゆるそれが真の心というのは、信、信ずる心とそこで高橋博先生ですかね、博先生の有名な言葉の中に有りますように、お取り次ぎを頂いて起きて来た事は、悪い事でもみな良いと仰っておる。お取り次ぎを頂かずして起きて来た事は、良い事でもみな悪いと、もう是はお取り次ぎを頂く。
 お取り次ぎの働きという物のなんちゅうかね、ぎりぎりのまあお言葉だ御教えだと私は思いますね。本当にあのうお取り次ぎを信じるか信じないかと、お取り次ぎを頂いて来て起きて来た事がそれは悪い、人間の見た目には悪い結果になっておっても、それは必ず皆良い事の基だというのです。お取り次ぎ頂かず、神様に願わずして 起きて来た事は、それがどの様に素晴らしい事の様に、目の前に見えておってもです。
 それは必ず悪い結果になる元だこういうのです。そういう心を見合わせよと自分のその、自分のその心をよく見定めて世間でいうのは相性悪いのだけれど、金光様のお取り次ぎ頂いてお願いをさせて頂いたら、そんな事は問題じゃないおかげになりますよと例えて仰られたらです、それを信じて受けると言う事が大事だと言う事なんだ、だからここは縁談だけの事じゃないと思うですよね私と家内の結婚の場合でもそうでした。
 こういう女の人が世話して下さる人があるから、私わざわざ北京に居りましたから、内地に帰ってまいりまして両親にその話しをし、親教会にお届けに参りましてからお許しを頂いた。当時の家内の健康状態と云うものは、実にそのなんちゅですか。もう普通なら貰い手は無かです。私じゃからもろうたとです。本当ですよ。とに角、夏でもですよね さらし一反、身体に巻いとかにゃならんちゅう人でしたです。
 夏でも足袋だけ絶対履いとかにゃ出けんという程しに身体が弱かったんですよ。母親は、娘が、兄弟が三人居るけどもこの人が一番親孝行するから、一番そのこの人に掛かっているという訳ですけれども。実際は身体が悪い、弱かったから貰い手は無かったですよ、きっと。ところがたまたま私が貰う事になったらです。神様がお許しくださったんだから私は御陰になる。
 私共参りましてからでもうあそこへ、そうですね丸一年位はこのさらしは取れませんでしたよ。夏でも足袋履いていました。所がどうですか私がそれを信じてもろうて此の方というものはですね、非常にこの胃の胃痙攣を起こす人でした。そうです所が私の方に来てからはですね。結婚して一回でしたか。それこそこの部屋中をだん、ごろりんして回る程に、その胃痙攣を起こした事が北京で御座いましたが。
 それっきり皆さんがご承知の様にですね、本当に奥さんの身体はこまいけれども、どこまで強いじゃろうか、と皆なが言う位に強いでしょうが、それは私の真の心というものを見合せて有るからです。ここの初代の先生もそうですよ。桂先生あの奥様を頂かれる時に、そら奥様自身が自分が身体全体の病気の為にです。その為に妊娠のおかげを頂かれた方なんです。だからみつという女の三人の候補者があったから。
 れをお伺いされた所が、二代金光様ですね。四神様がそのみつ先生の上に丸をつけなさった。そいで桂先生その四神様に「この女はもう世間ではね病み袋と言う程に病みという病気、病気、病み袋と言う程に、身体中に病気を持った女。と云う事で御座いますが。」といったら。「それがおかげを受ければ良かろうが」と仰った。それがどうですか、九十近くまでも長生きされたんですから。
 問題はそこに桂先生の腹が決まったのです。四神様がそう言うて下さるんだから、「よし」世間で病み袋という女でも貰うという事になられた訳です。そしてあのような、かくしゃくとしたね、八十になられても元気でお取り次ぎの御用が出来られる、桂先生は早死された、けれども後をああして、その守り抜かれる程しの健康を頂かれたんです。いかにその真の心と、真の心とはそういう心なんです。
 だからそのまいっちょう向こうにはです。よしそれがほんなら病気でですね、もう 大変例えば病気の家内をもったら、もう一生の( ?)だとこの辺りではいうんです。例えばそう云う事になっても、神様の仰せだから、なら問題はないと、問題は無いじゃない。それでも神様のご都合だからと頂けれる信の心、ここは信の心ね、信て書いてあるでしょうが、そこにね普通では考えられない程しのおかげが受けられる。これは桂先生場合だって私の場合だって同じ事です。
 家内におまえは、おれがもろうたおかげでおまえは強うしとるとよち私が言う。七人もの子供おっても、それこそ生む度に元気になって行ったんですから。問題はこの信の心です。そこで、是は縁談の事だけの事じゃない、と云う事を今あの高橋先生のその言葉をまあ引用して申しました様に、お取次ぎを頂いて起きて来た事は、目の前にそれが悪い事の様であってもですね。
 それは皆良い結果になるんだと云う事。金光様の信心するならね。ぎりぎりの所ここを信じるより他にないのです。それが信じられるおかげを頂く稽古する以外ないのですよ。例えばどの様な場合でも、ほんなお取次ぎ頂いてこげな事になったという人があっても「何を言いよんなさるか」と、お取りぎを頂いて、起きて来た事でないですかと、是がおかげに成らなんはずはありませんよと。言えれる心なんですね。
 明日が、親教会の御大祭、今日は久留米の三橋先生の所の御大祭。そこで 昨日豊美が御用に参りました。若先生は宮の野陣教会の御大祭で御座いました。手分けしてです。だから今日は私が久留米の方の大祭を奉仕させて貰う、若先生は又今日大祭前の今日親教会の奉仕にいかなきゃならん訳で御座いますけれどもけども。丁度私がここの御祈念が終わってから、十時半から今忠臣蔵がありよるます。
 その忠臣蔵見よったんです丁度そん時に豊美が帰って来た、昨日は丁度浅野内匠守が切腹するとこじゃったね。そしたらその豊美が帰って来てから申しますのに、「お父さんこりゃ家にも切腹せなんような事が起こっておりますよ。」というて来る返って来たんです。何のこつテレビを切ってから話を聞きました。丁度昨日は土居の共励会でしたから皆さん帰って来てからまあ、半ばからでしたけれども。
 その話を皆さん聞いたんですけども、先日から八坂先生が昨日一昨日見えましたですね、久留米の大祭の後、まああちらの大祭の委員長をしておられた方が中座されてここへ見えたとこういうのである、さあその後が大変な問題だったと言う訳なんです。しかも久留米関係の何十人の偉い先生方ばかり、勿論福岡の親先生も親奥様もそれに加わられてから、そこにそのお話を聞いておられたのがひろ子さんですね。ここで舞を舞われた、だからもうとに角豊美さん大変な事が起こっとるよ。
 あんたんとこのこう云う事の問題が、こう云う事になって来た。だからこれ公にするならどういう問題おこるじゃ分らん、けれども其処ん所うちの親先生、いわゆるお父さんですたいね。荒巻先生がです..そんなこっちゃなかて、椛目の事、合楽の事、非常にかばわれた訳です。それでもう家のお父さんもうほんに何時の場合でも可愛そうな。上の先生方あなたの教会長ね。
 久留米の教会長、兼務教会長しちゃるから、あなたが合楽を押さえきらんからこういう結果に何時もなるんだと、と言うて偉い先生から親先生しっかりやられなさったらしんですよ。それをその後ろのひろこさんが見てからです、「本当に家の親先生が可愛そうな」ちゅてこう言う訳ですけれどね。豊美は豊美で本当に私、家の父の信心というもの知っとるからです、「そう言う風に見方される事が、私は大抵家の親先生が可愛そうな」ていうて私は話したとこう言う訳ですけれどね。
 そもそもの端を発したのは、何かと言うと秋永先生がね、ここでお取次ぎを頂かれた。「こうして 学院長の佐藤先生と八坂先生が見えるから、そのついでにこちらに寄って貰ったら同でしょうか」と云う事でしたです。「そげな事することいるもんか、」と言いましたら、そいでもどんなに考えても親先生、合楽の是ほどしの信心をもう将来、現在でもそうですけど、本教のおおたけものである所の先生方にです。
 「見て貰わなきゃ、聞いて貰わなければこういうチャンスはないですから、」と秋永先生その事を一生懸命言う訳です「けれども秋永先生、まあだ早かて」私、実際ほな見て貰って私どれだけの事が出来ておるかと、見てもらうなら築どん見て貰うだけの事じゃないかと、だから、「まあだ早いよ」と、それでもです、とにかく八坂先生がその先唱しておられた時分に佐藤先生と大変じっこんにして居られた訳です。
 だから八坂先生が、佐藤先生のおいでを願われたと云う事だったから、いわばそういう仲であるから、八坂先生がここにね、とにかく合楽に一辺行って見ましょうかと、いう様になっておいでるならば私は大歓迎しますよと、けれどもこちらからこちらから来て下さいと言うちゃ、まだまだ秋永先生早かよ。と言うてならそうですね。というて先生も下がったんです。そういう話しをたまたま十二日のあそこの月次祭の時に話したらしんです秋永先生が。それを横で聞いおったのが古屋さんなんですね。
 古屋さんならば佐藤先生とも、ご本部のご造営の時にこう対当でですねお話しをしたり、お酒を飲んだりしとる訳。佐藤先生が教官時代に、あちらがその建築の技師と云う事で、その相談に何回も、ご本部に行ってから、八坂先生の所では自分がこの、あそこの会館が出来ます時に、設計をしてやられた程の仲なんです。二人共だから自分が一つ言おうと、こう思われた訳なんですよ。
 そして神様の演出というのがですね、( ? )鳥栖で降り損ねてから佐賀までいっちゃた。だから私共が帰ったあとにそのもう何もかも片付いて、そのご直会なんかも終わって居る所へ行かれた分けですよ。ところがそれも又それこそ偶然ですね。今の福岡の親先生ですたいね、福岡の先生とぱったり廊下で会われたそうです。今日は佐藤先生が見えたそうですね。「ちょっとお会いしたいですね。」ちゅたら「どうぞ、どうぞ 家の母もおりますから」ち、もうそのへんの順調さというものがですね。
 特に佐藤先生、八坂先生、善導寺の親先生その偉い先生方がずらり五、六人おられる所に、古屋さん、またそこへどうぞって言って、母がおりますけんどうぞいうて先生言われたもんじゃけん。スルスルと入って行った訳ですね。そしてその八坂先生にその話をさせて頂いたら、二人共お任せ致しますと云う事だったらしんですよ。そいで済む事ちゃけん、もう本当にねもう寝耳に水で、電話掛かってまいり、二人の先生方が見えるから、さあもうそれこそてんやわんやでその部屋、あの準備をしたんですよ。
 そう言う様に、こっちも別に声があって、どうじゃなかったけれども、それがとに角合楽はね、商売人ばかりで駆引きが強いから、何時もする事が、こういうえげつない事をするていうて、怒られたらしいです。しかし、考えて見ると言われても仕方がない訳です。そういう神乍らな事であっても、そう言う風に見られても仕方のない。というてそんなら、二人の先生方をここへ来て貰って、こちらは何プラスする事のないですからね、損するだけの事ですよ。
 沢山な飲んで貰ったり、食べて貰ったりしてお付き合いせにゃならん。帰りまたお土産持たせて帰さならんですけん、こげな馬鹿らしい話はないとですよ。お話しいっちょう聞かれる訳じゃないのですから。ようっと考えよっとです、問題じゃない様であるけれども、矢張りそれが問題になる様な、現在の状態、そいで本当に内は腹切らなにゃん事の事が起こっとですよ。
 と言うのもその事だった訳なんです。そいで豊美さん、腹切る、そげなこっちゃなか、そんな事は問題じゃないとこう。とこう私、それが誰がバタバタしょったっちゃ、私にいっちょん関係なか事じゃら、というよりね。丁度若先生がもう帰って来ましたから、そいけんじゃったろう、今日宮之陣で他所の先生がそうにゃふが悪かったそうで、本当に神様の演出けれどもね、目の前にあるこちらが大変困った事の様にあるけれども、さあお取次ぎ頂いてそのような事になって来たとですもんね。
 だからこれは、おかげになるて私が。例えばそう言う様な、皆さんは、」大変問題にして困っておられるか、知れんばっえてん、こっちはようっと考えると、ははぁ又こげな問題が起こったけん、またおかげ頂くばいのちゅうて気がする、さえするとですこっちも。そりゃあ気の毒な事、私親先生だけには、お気の毒だなあ。もうやがて七十にもなられる方が、上の方から偉い先生方から喧し言われてそして、そりゃ合楽は悪かていっしょに言われんもんだけん。
 「そりゃそげな事なかがの」合楽の事えらいもう子供の方もかばわんならん、上の方も言わんならんていう訳で、それを実際見ておられた娘さんのひろ子さんが「うちの親先生は本当に可愛そうな、」と言うてまあ言われたと云う事です。こりゃまあ、明日二十八日の御大祭には、本当に沢山お参りさせて頂いて、「親先生にお詫びの印しにでんいかにゃいかんね。」と話した事でした。そういう意味合いでね、どうぞ明日は沢山お参り下さい。そういうその問題ね、そう言う様な事でもです、信ずる心です。
 秋永先生が要らん事言うてから古屋さんが要らん事さっしゃったから、本当に家の立場で困った事じゃと云う事は是から先も、私は夢思わんですね、露程も思わんですおかげだと、それこそ久留米全体の偉い先生方が掻き回されとんさけん、ちいった気の毒がかばってん、それも久留米地区にとってもおかげだと私は思うんです。合楽にとっては尚更おかげだと思うです。
 だからそう言う所をまあ信薄き人達は私が横着だという風に言うかも知れけれども、私はおかげだと頂いております。さあそれで手を打たなならんと言った様な事はないおかげだと。昨日の朝の御祈念の後に高橋さんがここでお届けをされます。「今朝方、先生その大変なお夢、まあ妙なお夢を頂いた」という訳なんです。朝鮮人の古か、まあ古かというと 朝鮮人の古かちいうてから、まあその年をとった朝鮮人と、そいから若い朝鮮人とが自動車を(?)した。
 それがそのあそこの娘さん佐多美さんておりますが、佐多美さんをその敷いとる自動車で、所が貴方そのいわゆる敷き殺してから、首がころっとその胴と離れとるげな、所がその首がですね、ものを言うそうです。それがその、それがその夢ですからね、朝鮮人の古かつの方の首げな。その首が言う事がどう云う事かと言うとね、こげんなったけど必ずその保証だけはするて後は自分が責任が持つ。
 保証だけはすると言う様なお夢だったこう言うのですよ。そこでその朝鮮人とは何か、佐多美とは何か、自動車とは何かと云う事になる和けです。だから古か方の朝鮮人が教祖様だと私もうしました。若か方の朝鮮人が私だとこう言った。佐多美というのはにんべんに左の多い美しいと書いてあります。言うなら皆さんだと云う事になる。子供ここでですよ、お取次ぎ頂いて、どの様な事が起きてきてもです。
 例えばひき殺される様な事が起こって来てもです、私の保証は見る、保証はするとそう云う事。朝鮮人と云う事は、朝鮮とは朝の鮮やかと書いてあるでしょうが。言うならば、清々しいまでの良い信心を頂いて居られる方という意味なんです。お取次ぎ頂いてよし死んだってですよね。必ず保証はするとこういうね。是は私共の場合もそうです。それこそ、私の弟が召集を受けて7年間帰らずに、戦地にずぅと居りましたがね。
 とうとう終戦、さあもう帰って来るじゃろうか。何時帰って来るじゃろうかというて、引き揚げの船の待って居る所へ来たのが、広報でした。そら言うならば、その為一生懸命の信心もさせて、家族中の者もさせて頂いたにも係らず、しかも、戦争が済んでから戦死するとは何事か、しかも、八月十五日にですよ、終戦になるのに八月、七月三十日に亡くなっとるです。神様さま、まあ十五日どうにかならんじゃたですか。
 というて神様をやっぱりごうぐるごとあったんです。そいで信心しょったっちゃ何になるか、神も仏もあるもんか。と言わば普通でいうなら言うとこじゃろうけれど、此処ん所がですね。常日頃信心の稽古が出来ておった。今日は、ここんところを頂きましたらね、七十一節の御理解の中に「ここへは信心の稽古をしに来るのである」という御理解が御座いましょうが、最後の所に「ここへ参って信心の稽古をしておけ。」と一番最後に言うて御座いますね。
 ここへ参って信心の稽古をしておけ。次にはその前にはね、「夜、夜中ど云う事が起きらないとも限らない」と書いてあるでしょうが、夜 夜中どういう信心しょっても、夜 夜中どう云う事が起こって来るかも解らんけれども、そういう時に今日私が申しましますような、信心しておってからの事であり、お取次ぎ頂ておっての事であるから。例えそれがどの様な事であっても夜、夜中どの様な事起こっておってもそれは必ずおかげになると、確信出きれる信心を頂いておけと云う事です。
 ほいで今日、私が八坂先生こちらに見えてから大問題になっておるという その大問題でもです。大問題であれば有る程、私は御陰受けると言う事なん。そら困った結果になったね、等と言うものではなくてお蔭に成ると信じれる。私と桂先生の言わば奥さんを頂かれる時に、私の家内を貰う時のその事の例も話しまたですね。そして今高橋さんが、昨日、朝頂かれたというそのお知らせ、いわゆるギリギリのもの。
 人間一番最大の不幸自分の子供が引き殺されるというですから、そう言う様な事がよしあったにしてもです神が絶対に保証はするて言うて下さった。例えば私の方の弟が戦死した信心させて頂いておった。その信心の稽古のおかげでその為信心が揺るぐ事がなかった。私の方のここのおかげの発端と言うならば私の弟戦死です。それか妹婿の病死です発端は弟そのです。成る程可愛い息子である私にとっては可愛い弟ですけれども。
 そういう大変な事になったんだけれどもです。神様が保証して下さる証拠に、この様なおかげなってきたでしょうね、ですからどこまで信じて私共が、御道の信心の稽古させて頂くか。どの様な事が起こってもです、それがおかげ基に成ると信じる心そういう信じる心を、ここでは見合わせよとこう。真の心とはそういう心なんだからこれは、信心にある、信心のない者に言うたちゃ解らんもん、ここんところはね。
 「縁談に相性を改めるより」これそう云う事をですよ。信心のない者にいうても解らんですよやっぱ相性見るです。信心のある者は相性てん何てんじゃなくて、自分が神様を信じておるその心を一丁当たって見ろと云うことなんです。これを一丁見合わせて見ろと云う事なんです。そしてお取り次ぎ頂いてのことであるから、お許し頂くことによっての事であるから右左は神様にお任せして、それを断行するとね。決行するという事によって、そこに腹が決まる。
 そこには例えば結果はどうなろうとも、問題ではない。その結果そのものをおかげと頂ける信心。そういう信心を本気で身に付けて置きたい。よしどう云う事があっても、夜、夜中どう云う事が起こっても来ても、又どの様な事になって来てもです。教祖様がちゃんと保証だけはして下さるのである。いやそれ、それその様な事の中に、そのおかげでこの様なおかげが受けられたと言う様な結果に成って来る。そこを信じて行く事がです。私は安心のおかげを受ける事と言う風に思うのです。
   どうぞ。